ココ・シャネル(1883-1971)の失敗から学ぶ

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Bonjour(ボンジュール),
C’est Monsieur A(セ ムシュー ア).

 

 

ファッションの歴史を変えたデザイナーであるココ・シャネルの生涯。
新しいことをする人はいつも非難されるけど、良いものは認められると言う実例を元になにか人生の教訓になればと思います。

 

 

ココ・シャネルの誕生



ガブリエル・ボヌール・シャネルは、12歳の時に母親を亡くしました。父にも捨てられ18歳まで孤児院で暮らします。お酒とダンス、歌、芝居を売るお店で歌っていた彼女ですが、お客さんから「ココ、ココ!」と呼ばれる様になります。

 

彼女はよく「トロカデロでココを見たのはだれ?」という歌を歌っていたからです。フランスの大女優オドレイ・トトゥがその曲を歌っているシーンをご覧ください。

 

 

お客さんのリクエストに応えた認められガブリエル・ボヌール・シャネルは、ココ・シャネルとなりました。

 

 

ココ・シャネルがデザイナーになる。



はじまりは帽子でした。当時の女性の帽子は、鳥の羽根などの飾りがついたデザインのものが多くありました。シャネルは、羽飾りを取り、シンプルで軽い帽子を作りました。この帽子が彼女のデビュー作となりました。彼氏からの援助を経てパリなどに店を出したシャネルは、女性用のスーツをつくるようになりました。これまでのひらひらとした飾りの多い服とは違い、シンプルで動きやすい、「女性が仕事で戦える服」を作り出しました。

 

シャネルの革命は、服だけに止まらず今でも世界中で愛される優しく透き通った香り「シャネルNo.5」もあります。こうして、世界的なデザイナーとなったシャネルですが、戦争が始まりファッションどころではなくなった人々が増え、55歳でデザイナーの仕事を辞めることとなります。

 

 

ココ・シャネルの失敗に学ぶ



戦後再びファッションに興味を持ち出した人々は、ウエストを締め付け胸元を開けた服が流行します。シャネルが70歳の時に「締め付けられた服では、自由に働くことはできない。女性がいきいきと働ける服を!」と一念発起します。

 

そして、1年間かけて準備したファッションショーが大失敗で終わります。「物悲しい回顧録」と
専門家から非難を受けます。

 

シャネルは、ファッションショーの失敗にめげず服を作り続けます。この時代にアメリカでは先駆けて女性が自由に働くことがブームになっていました。アメリカの新しい女性の間でシャネルの斬新な服は受け入れられます。その後、フランスでもシャネルの服は受け入れられていきました。

 

 

 

 

自分が一生懸命に作った物、考えたことが周りの人に受け入れられない。チャレンジする人の宿命かもしれません。もしかするとシャネルの様に受け入れられる場所が違っているだけかもしれません。ショップに行ってシャネルの服を来てみるとなにか感じる物があるかもしれませんね!

 

 

 

 

 

 

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では、良いフランスライフを!!
A la prochaine 🙂

 

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